alex99さん
>『かくれんぼ 三つ数えて 冬になる』
>
>私はこの句が好きです。
今日はちょっと休憩しましょう。
BBSのなかに書きましたが、寺山修司は川柳という文芸を軽蔑していました。何を隠そう、実は川柳人の多くも「川柳」を軽蔑しないまでも忸怩たる気分でながめているところがあるのです。
某「生保」で主催していて、多くの人たちに人気のあるサラリーマン川柳の優秀作を紹介しましょう。
コストダウンさけぶあんたがコスト高
女房が腹でしてみるだっちゅうの
恋人がいるかと聞かれ「はい いります」
面白いですね、一読明快スカッと笑えます。しかし、このようなダジャレや語呂合わせの句だけが川柳だと思われていることに、川柳作者の多くは眉ひそめ顔をしかめているのです。
では、それならばその人たちがどんな句を作っているかと思うでしょうね。ところが、そうした川柳作者たちが一所懸命つくった作品が、寺山修司にかかればボロクソに、「文芸と呼ぶのもおこがましい」と切り捨てられているのです。
僕も川柳人ですから、内心穏やかならざるおもいがありますが、寺山の主張に頷かざるを得ないとしばし感じています。僕が読んでも面白くもおかしくもない川柳が多いのですから…。
その理由を書くと、川柳仲間から八分にされかねませんのでこれ以上は書きませんが、川柳人の書く作品の多くが一般の方々のみならず、他文芸にかかわる方々の魅力を欠くものになっていたことを認めざるを得ないと、僕は思っています。
もちろん、川柳人たちも手をこまねいているわけではありません。川柳文芸としての特長を活かした魅力的な作品もどんどん生み出されています。そんな作品をこのサイトでも紹介してきています。
たとえば、こんな句はみなさんいかがですか。
花の名を呼ばれ「ハイ」と立ちあがる 河瀬芳子
話しが脇道に逸れましたが、僕からいわせると寺山修司の作品の多くがとても川柳的なのです。川柳の大きな特長のひとつは〈人間探求・穿った見方〉です。
こうした意味で、五七五ではなくても、作品に川柳を感じます。一部を紹介しましょう。
幸福についての七つの詩より
ポケットを探したって駄目です
空を見上げたって
涙ぐんで手紙を書いたって
駄目です
郵便局に日曜日があるように
幸福にだって休暇があるのですから
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥
桃の木は桃の言葉で羨むやわれら母子の声の休暇
村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ
第三歌集「田園に死す」より