寺山修司を書いていて、寺山の俳句をきっかけに、川柳・俳句境界論になってしまいました。しかしalex99さんの巧みな質問とフォローもあって、おもわぬ収穫が得られたと思っております。この件に関してはalex99さんに心から感謝します。
さて、寺山論(?)がまだ中途半端になってしまった。元に戻ろう。
寺山修司は、
連続射殺犯の永山則夫に執着し関心を寄せていた。
それは、永山の生い立ちがどこか寺山の生い立ちと重なるところによるのだろう。これまでも書いてきたように、寺山は親から捨てられたと自覚して育っていた。
しかし彼の母親は、寺山を捨てたわけではなく生活を立てるために子どもから離れざるを得ない事情があった。それゆえ、寺山は母への憎しみとともに恋慕も募らせていたのだろう。理屈では、母親のことを理解していたのだ。ゆえに、永山に自分を重ねて、執着したのだろう。
永山の心情をこと細かに分析している。これに対して永山は反発していたが僕には寺山の分析のほうが正しく永山をとらえていたと思う。その一部を引用する。
いまから思えば、永山則夫ほ「かくれんぼ」をしていたのではないだろうか? 殺人事件を犯したあとで、彼は凶器の西独製レームRG10型ピストルと、米国レミントン製ハイスピードの22口径ショート型弾丸とを、横浜市内の神社境内に埋めた。そのときから、彼の生甲斐はかくれることになったのである。
はじめのうち、彼はかくれんぼの鬼は刑事だと思っていた。だから、「もういいかい」と呼びかけることもなく、雑踏の中にまぎれて自分をさがしにくる私服刑事をさえ用心していればよかった。
だが、月日がたつにつれて鬼は刑事でも国家権力でもなく、もっと抽象的な歴史であるということがわかりはじめてきた。彼をとらえようとするのは「くもりの日」であったり、「休日に近い日」であったり、三畳間のアパートのうす汚れた壁にかかった的をめがけて飛ぶダーツ(投げ矢)だったりした。
彼は、もしかしたら自分自身が鬼であるかもしれないと、感じたときどれほど戦慄を感じたことだろう。わびしいバーテン仕事を終わって帰ってきた、アパートのガスレンジでワカメの味噌汁をわかすとき、靴下を洗濯しながら若山富三郎の人斬り数え唄を「ひとが斬りてぇヒイフウミイ」と口ずさむとき、ふいに「見つけた!」という声がじぶんの中からきこえてくる。じぶんの中に、鬼がいる限りは、かくれんぼを終らせようとしたらじぶん自身を終らせることしかほかに方法がないのか。自殺。ふと、拝軽海峡を渡ったときの暗いデッキの上で見た濁流が思いうかぶ。あのとき、レイソコートのポケットの中で手にふれたもの……汚れたハンカチ、ウインストンの空箱。「この世のほかの土地」にもニシン場はあるだろうか? 長い長い冬の終りの小学校教科書、青森と函館とのあいだの地理的「海峡」をこえた、狂気の黒潮。「全世界を見た者でも、彼等の落ちつかない心の中に、未知の世界を蔵しているであろう」(レミ・ド・グールモン)。かくれんぼが一生終わらない恐怖から、くらくらと目まいしてデッキの手すりにつかまる。はたるの光、まどのゆき。(『幸福論』より)
寺山は、永山を肯定してはいないがいささかの共感はあったのかも知れない。永山が究極の犯罪者として堕ちてゆく必然性を指摘している。
情念→犯罪→エロスという、寺山にとっての三角関数で永山をとらえ、そこから跳ね返る影像のなかに自分自身もみていたのであろう。