このところ僕の本家のHPの大改装をしていましたので、こちらが疎かになっていました。まとまらない話題になると思いますが…。
ところで、憲法のあとなんですが、セックスについて書くことは難しいですね。
100人いれば100のセックス観がありますから、実績の乏しい人間が書いてもせせら笑われるのがオチでしょう。
「SEXは最高のコミュニケーション」と書いたら、ある人に「そんな余裕のある奴がどこにいるのだろうか。尊敬する前に、やや軽侮する気持ちが強かったですね。」と言われてしまいましたが、確かにそんな余裕はない、語るより実行すべきものかも知れません、なと。
しかし、10代の後半の頃はもうはち切れんばかりにSEXへの興味をもっていて、スタンダールの恋愛論や当時は発禁本だった「チャタレー夫人の恋人」なども読みあさったものです。「チャタレー夫人」には騙されたような気がしたものです。
当時は僕も若かった。妄想の世界を転げ回っていたのですから。
その頃は、こんなにSEXのことばかり考えている僕ほど不潔で異常な人間はいないのではないか、と秘かに自己嫌悪を抱いていた時期もあります。好きだったガールフレンドを寄せ付けないような不思議な感情をもっていたものです。
きれいごとと言われるかも知れませんが、悶々とする気持と汚したくないという気持が同居していたんですね。
ところが、友人たちと性についてフランクに語ることができるようになると、なんだみんな同じように悶々としていたのかと拍子抜けしたものです。
スタンダールの恋愛論では、はじめて結晶作用という言葉を覚えました。
つまり、相手のことを思い詰めると、どんどん理想化してしまい虹のように触れがたい存在になっていくことなのですね。
「あの人に接吻し、接吻されたらどんなにいいだろう」という気持、最近の若者はごく普通にできるようで、うらやましい。
ところで、以前に書こうとして中断してしまった人に、
黒木香さんがいます。
ご存じない人もいるのかな、脇毛のタレントといえば思い出すひともいることでしょう。
作家の野坂昭如氏が、「あなたの存在そのものがルネッサンスだ」。というような発言をしていたことを思い出します。1980年代だから、もう相当前になりますね。「いや、オレはずいぶんお世話になった」などという人たちも、いまや皆さんいいお父さんになっているのでしょう。
この人は、横浜国立大学在学中にAV女優になって、その後テレビタレントとして活躍していましたが、いつのまにか見かけなくなりました。
SEXをとことんお仕事にしてしまったということで、徹底していましたね。実は、この人のビデオを一度だけ拝見したことがあります。
外人女性との絡みの作品でしたが、AV初期の頃は今ほどどぎつくなかったような気がします。(いえ、最近のものを知っているというわけではないのですが…。)
その彼女が、テレビでくねりながら黒々とした脇毛を見せるシーンで受けまくっていましたが、今の女性はたいがい脇毛を処理していますが、たしか、昔の映画などでは脇毛の見えるシーンもあったような気がします。
中学生の頃、プールでボール投げをしていた同級生の女の子の脇に、それを確認したときには思わず大人だナーと感心したものです。
不確かで申しわけないのですが、イタリアやスペインの女性は脇毛を剃っていなかったような気がします。
日本人女性が脇毛を剃るという習慣はいつ頃から始まったのでしょう。何か、とても懐かしい光景になってしまいましたが…。