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文芸を親しみ、交流するいとう岬のサロンです
by msk333
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文芸森樹
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天地わたる
新聞配達所が景品のチケットをくれるという。遊園地入場券、博物館入場券、歌謡ショー等の中から選べという。どれもそう積極的にはなれなかったが島倉千代子に気持ちが動いた。島倉千代子ショーのチケットを二枚もらった。
今年は八月になって連日暑い。六日前の八月十六日、熊谷、多治見で高温日本記録を塗り替えている。前日外出した妻は草臥れたといって消極的だったが、二人で日比谷公会堂で出かけた。
小生が幼児のころ木製のラジオから流れていたのが島倉千代子。いまいくつなのか。いつから紅白歌合戦に出なくなったのかも記憶がない。こんな暑い平日の午後二時、どれくらいの人が集まるのか、そんな興味もあった。
汗だくで日比谷公会堂へ歩いていくと、ぎらぎらした太陽の下、人がいっぱいいた。予想よりずっと多い。ぼくらより上の年齢の方々がほとんどで、たまにいる若い人はその母や祖母の付き添いである。
「入りが悪かったら気の毒」と妻は言ったが、二階もかなり入った。会社の組合大会よりはるかに熱心な人ばかりだ。ぼくらは安心した。幕が上がるとピンクのウエディングドレス風の衣裳を来た女性が立っている。遠いので顔がわからない。「前座の子よ」と妻が言うが、歌いはじめて本人であることがわかった。
島倉千代子は七十歳になり芸能生活五十三年になると挨拶して会場がわいた。ピンクのドレスで歌ったとき声の出が悪く心配したが、別の衣裳になってからは声がのびやかになった。
新聞部数拡張のためのコンサートは経費が切り詰められている。司会者も前座歌手も踊子もいないステージを老いた主役が一人でこなす。一人の歌手と五人の楽団。歌と歌の間をおしゃべりでつなぐ。駅のホームでゲーノージンですかと子どもに問われたことだとか日常を気負いなく語る。妻は一曲一曲一生懸命拍手しはじめた。「拍手して元気をあげるの」と言う。小生もならって拍手する。
一時間を経て着物に着替えて登場したときが真骨頂であった。「この世の花」「からたち日記」「東京だヨおっ母さん」と続いた。「この世の花」は急激に音が上がるところがあってつらそうである。往時ならもっと声が伸びただろうと思うのだが、島倉千代子というブランド力はたいしたもの。声のかすれを味わいに変えてみせるのだ。
老歌手は失ったものを武器にしてまぼろしを宙に見せる。ない声で歌って豊穣を感じさせる。晩年のジャイアント馬場もそうだった。ない力をあるかのように見せた。立ち姿そのものを観客は楽しんだ。たとえば梅の大樹の空洞。それをものともせず木は立っていて花を咲かせ実をつける。表と裏の声がスリリングに交差する歌唱は乾いた艶を帯びていた。いまそこに歌を歌うことのみ楽しむ人がいた。
帰りに「大月みやこのチケットも来そうだね」と言うと妻は「もういいわ」とすげなく応えた。
蜂クリック
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