他吟社の反響
●『松代川柳』の「ひとこと」より、
「五十九回長野県川柳大会」へ参加させて頂きました。多くの事を勉強しました。特に吟社による句風の違い、そして指導者の重要性について考えさせられました。(素文)」
というような、冷静で指導者として肝銘なご意見とともに、
「恒例の川柳県大会では新しい(?)川柳や難解句の多さに衝撃と戸惑いを覚えました。長野の土のにおいや信州人のにおいのする川柳はもう通用しないのでしょうか。(克子)」
というような率直な意見もありました。
このような戸惑いはある程度は予想していたことです。僕からみれば当日の入選句が特別な内容ではなく(かくいう克子さんも当日は成績上位者に名を連ねていたのですから…)、今まで県内だけで競い合っていたけれど県外から新しい句が混じった、ということだけだったと思っています。
選者の皆さんも、特別新しもの好きというわけではなく、7人のうち4人は県の川柳をリードしてきた方々です。難解句といってもその方たちが選び発表した作品ですから、これからは難解という尺度も少しずつ変わっていくことでしょう。
人間同士の理解とは実際には難解なものです。阿吽の呼吸になるには家族でも難しいことがあります。ましてや川柳で、一読明快誰でもわかる句といいことのほうが不自然と思わなければならない、と僕は思っています。
僕からすると「長野の土のにおい」「信州人のにおい」という、あいまいな言葉のほうが難しい。例えば、長野の土は山梨の土とちがうにおいなのか…。信州人は他県人とは違うにおいなのか…。
なんとなくほのぼのとした情景を「信州(だけの)のにおい」と勘違いしているのではないか、と僕は思ってしまうのです。
つきつめていえば、何となく分かり合えそうな常套の世界で甘え合っている、というのが長野、あるいは全国的にもいえる生活川柳という分野ではないかと…。
このように言うと、全国の川柳を否定しているかのようにとられかねませんが、僕は生活川柳を否定はしません。自分が、心地よいレベルで川柳をつくればいいわけです。
例えば野球。野原でやる草野球、高校野球、実業団野球、プロ野球…、そのどれが良くて、どれが悪いとはいえません。
ましてや、川柳という狭い文芸の世界で違いを見つけ合っても詮無いことです。
辛口のご意見については、僕としても真摯に反省し、今後に生かさなければならないと思っています。来年は小諸で、井出秀夫さんらしい大会が、再来年は飯田で、それぞれ当番にふさわしい大会が開催されることでしょう。
みなさんが、それぞれの思いで目指す川柳の世界、あるいは舞台を設定してゆけば良いことだ僕は思います。