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文芸を親しみ、交流するいとう岬のサロンです
by msk333
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文芸森樹
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河童
山荘からつづく森のなかにアルプスから伏流水などを源とする幾筋かの小川がある、その川に孵化した岩魚を放し、川添いに散策できる道を整備している。なるべく手をいれずに、自然の姿のまま歩けるようにしたのだが、昼間でも鬱蒼とした森の中の川辺にいると河童に出会えるのではないかという気分になってくる。
河童といえば、川柳界では川上三太郎師を想う人もいるだろうが、なんと言っても芥川龍之介の晩年の代表作「河童」があげられる。これは、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人びとに問題を提起した。自殺する近年も、俳句や短歌、そして墨絵にも河童を題材にしたことから、命日を「河童忌」と呼ばれるようになった。これは芥川が河童と自らの名前の一字「龍」をめぐる民俗学の伝承に思いをめぐらせていたことにも関係しているらしい。
山荘附近でピンクの花を咲かせているミズという山菜としても知られる植物が豊富だが、これは別名「うわばみ草」と呼ばれている。この“うわばみ”は龍のことで、龍の棲みそうな場所とも言われているが、川沿いに群生する姿がまるで龍のように見えるから、呼ばれるようになったのではないかという説もある。
ところで、晩年の芥川は神経を病み、睡眠薬を常習していた。このきっかけは、秀しげ子という歌人だった。社交的で有名人好みだったしげ子は芥川にまとわりつき、男女の関係になるや、私物化せんかの行動で芥川を悩ませることになった。これを逃れる目的もあって新聞社の海外特派員としてでかけた中国旅行での無理がたたって、病臥につかれた。
そしてついには自死までの道をたどるのだが、そんな自らの姿を自嘲したのが河童に仮託した自ら姿でもあったのではないだろうか。龍の名を負いながらも龍になりきれず、河童という水神に零落した姿。
名作『河童』は、自殺を遂げる5ヵ月前に書き上げられている。
漆黒のなかで
八月のある日、もしや遅い蛍と出会えるかも知れないという期待を抱いて、日がとっぷりと暮れてから、森の中に切り開いた小径を歩いてみた。
わが山荘かせつづく約2000平米ほどの小さな森には三筋ほどの清流があり、清流添いに歩けるように整備した。小さな森だが、熊や猪と出会うこともあるので、夕方は愛犬ハナを連れて歩くことが多いのである。
最近は、日本ではどこに行っても漆黒の闇というものとあまり出会うことがないが、この森にはまぐれもない漆黒がある。漆黒のなかにいると、ひとりの人間としての頼りなさと、人工の明かりで暮らす傲慢さを改めて反省させられる。
ここで突然獣と出会い、対峙したら、なすすべもないかも知れない。闇の中では犬のハナがいやに頼もしくみえてくる。どんどん先に歩いて、木の株の下にある洞穴をのぞいて「ワン!(誰かいるか、というように)」と声を掛けては進んでゆく。
ここでは朽ち木から苔むした岩、大きく崩れだした茸のすべてまで神がかってみえる。昔の人々がさまざまなものを信じてよく祈り、自然に謙虚であったのは、どんな夜もこの漆黒の闇とともに行動していたからだろう。明るかった昼間のあとには必ず漆黒の闇が訪れたから、人々は好むと好まざるとにかかわらず、闇に目をこらし、生とか死を考え、自分を見詰めてきたのだろう。
実際、闇はただの闇にすぎないのだが、その暗さのなかにはさまざまな想いや想像の羽根を広がらせる魔力がある。
そしてそれは文芸についてもいえる。ときにこころのなかに漆黒の闇をもつことで、より深いものが生まれるのではなかろうか、と―。
蜂クリック
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